主屋、羽後黒川郵便局、佐竹さんの部屋の紹介

主屋:文久元年(1861年)に建立

妻飾りに掲げられた三浦家の家紋
高さ約13メートル(普通の建物にすると3階建てから4階建て相当)、建坪約170坪、そして屋根は茅葺(かやぶき)で130トンの茅が使われています。
茅葺き民家として東北地方では最大級の大きさです。

主屋は両端を前に突き出す、秋田中央部に見られる民家の形式で「両注文造り」と言います。

屋根の黒い三角格子の部分は妻飾りと言い、この部分に三浦家の家紋「丸に三引き両紋」を掲げており、これも特徴の一つ。妻飾りに家紋を掲げるのは非常に珍しい例です。

羽後黒川郵便局
座敷部分を改良して造られた郵便局で、大正7年から昭和52年まで、59年間開局していました。

◯主屋に郵便局がある由来
主屋に郵便局がある理由として、「黒川」という地名に関係があります。
黒川は元々油の取れる土地でその油で川が黒く濁るので黒川と言います。

大正3年に三浦家の持ち山から大量の油が大自噴するという出来事があり、それがきっかけとなり新潟から石油関係者が大勢黒川に移り住みました。
その結果黒川の人工が増え、通信施設が必要に。そこで当時黒川の中心的存在だった三浦家の座敷部分を改装して郵便局を開局しました。

なお、修復工事の際、主屋は建立された江戸時代(1861年)の姿に復原されていますが、この郵便局は油田の歴史や、地元の人たちとの繋がりが色濃く残っているということで、大正の姿のままを留めています。

初代の局長は14代目当主の三浦悦郎が務めました。

佐竹さんの部屋
郵便局の隣にある座敷で「佐竹さんの部屋」と呼ばれています。

◯部屋の特徴
数寄屋造りという、茶室に用いられる建築方法で造られたお座敷。
座敷内の壁は白の漆喰で塗られており、面皮の柱や長押が使われています。
その他、飾り金具の釘かくしや部屋の天井の上下には竹が回してあったりと、意匠的にも他のお座敷とは違った作りになっているのが特徴。

◯名前の由来
昭和2年に元秋田藩主の佐竹氏の子孫である、佐竹義春氏が黒川に鷹狩に来ました。その際1週間泊った部屋であることから、佐竹さんの部屋と言われています。

その後非常に大切にされ、誰でも入る事はできませんでした。
掃除も普通の女中さんではなく、年配の女中さんしか許されなかったと言われています。

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